【約2年の道のり】2度の流産を乗り越えて、新しい命を迎えるまで(経験談)

Bloomのセラです。
今日は、少し個人的でナイーブなお話をさせていただきます。
このブログで語る日が来るとは、2年前には思いもしませんでした。今回の出産は約7年ぶり。上の子たちと年が離れた理由と、私の経験が同じ境遇の方の何かしらの支えになればという思いから、ここに記すことにしました。
突然の宣告と、最初の別れ
単刀直入にお話しすると、私は第三子を授かる前に、2度の流産を経験しています。
最初の子を授かったのは2021年のこと。妊娠が発覚し、つわりも始まりましたが、新しい命を授かれた喜びに包まれて生活していました。お客様にはプロ意識をもって接していたので気付かれていなかったと思いますが(そう思いたい)、接客の合間には別室で戻してしまうこともありました。
一人目、二人目の時と変わらない「The 妊娠中の私の症状」だったので、「無事産まれてくる」としか思っていませんでした。安定期までは内緒にしようと、夫と仕事関係者の一部にのみ伝えていました。
2021年12月25日。家族でクリスマスパーティをしたときも、まさかお腹に赤ちゃんがいるなんて誰も思っていないだろうな、と幸せに浸っていました。
年が明けた2022年1月、「来年はお正月をもう一人増えて過ごすんだな」と、家族団らんの様子を見てワクワクしていたのです。
年明けの検診
それは本当に突然の出来事でした。
「…心拍が確認できません。」
「え?」ただただショックでした。念のため後日再度確認しましたが、結果は変わりません。
「そっか、私でも流産するんだ。」
妊娠・出産を経験していた私は、流産とは無縁だと思っていました。まだ胎動もなく、つわり以外に赤ちゃんがいる感覚は薄かったのですが、涙が止まりませんでした。
「家族の一員だよ、ずっと忘れないよ」と、手術前日に私が手を添えた家族写真を撮りました。
初めての手術と、意識下の体験
2022年1月12日、手術当日を迎えました。
手術室に入って行う手術はこれが初めてでした。手術室に入る直前の廊下で無意識に涙が流れると、それを見た担当の女医さんが頭をポンポンしてくれました。
身体に静脈麻酔が入る。初めての全身麻酔です。手術時間は約20分と聞きましたが、麻酔で眠らされている間、すごく怖かったです。ずっと悪夢のような感覚に囚われていました。
麻酔が効き始めると同時に、視界が歪み、自分が「人間」という感覚を失い、「無」の状態になることが、ひどく怖かったです。
やがて、周りの声がだんだん聞こえてきました。手術が終わって部屋を移動している最中でした。医師らが雑談をしているのも聞こえましたが、(なんとなく仕事の話しをしている感じではなかったです)。
冷静になって考えると、よく亡くなった直後や意識不明といわれる患者さんが「耳は聞こえる」という話がありますよね? あれ、絶対本当だと思いました! だから、周りの人で何かあったときには、声をかけ続けてあげたいと強く思ったんです。
病室に戻る途中で、だんだんここが病院にいることは理解でき、【私】の身体に自分が戻っていくような感覚でした。そして、「あ!私って【人間だった】」って気付くのです。
「滝澤さーん!」「滝澤さーん!」という声が聞こえる。目を開くと視界がぼやけていました。映画やドラマで見る、意識が戻る瞬間のぼやけた視界。あれは再現性がすごいです。まさにあれでした!
「終わりましたよ」
〔終わった…赤ちゃん!!!そっか、私妊娠してたんだ。赤ちゃんダメだったんだ、、〕
「よく頑張りましたね!」
担当医師がそう声を掛けてくれ、私の頭をポンポンしてくれました。私は声も出せないし動けないけど、その言葉にすごく救われました。
その後、事前に希望を伝えていた私に、医師は瓶に入った赤ちゃんを見せてくれました。意識が朦朧としてピントも合っていませんでしたが、この子のこと忘れたくない思いで必死に目を見開きました。
現実を理解して、ただただ悲しかった。「もう、赤ちゃんはお腹にいないんだ」と。でも、先生が会わせてくれたから、落ち着いてさよならができたような気がしています。
手術後ってしばらくスタッフがそばにいてくれると思っていたのに、病室に連れてこられると誰もいなくなる現実を突きつけられました。
気持ち悪い。吐きそう。
手術の説明で術後気持ち悪くなって吐き気を伴う人もいると聞いていたので、食事を抜いて手術をする必要があると。
ナースコールはどこ…? 声も出ない。身体も動かない。気付いたら吐いてしまいました。食事も水分も抜いているのに吐けるんだな、なんて考えている自分がいました。吐いたことで少しすっきりしたのですが、動けない。
なんとかスマホを掴み、夫に助けを求めました。





夫が病院に電話してくれて、看護師さんが来て服やシーツを替えてくれました。「ナースコールここにあるからね」と言われ確認したら、なんと私の頭のすぐ右隣にあったんです!麻酔で体が動かないから、全然気付きませんでした。
動けなくてじっとしていたとき、赤ちゃんの事を考えていました。取り出されるとき苦しくなかったかな、男の子だったかな、女の子だったかな。体の一部が取り除かれた気持ちでした。
手術中の悪夢が本当に怖くてトラウマになり、映像が何度も鮮明に蘇るんです。うまく呼吸が出来ない感覚もあって、なんせ苦しくて死んじゃうかと思いました。
いろいろと落ち着いた頃、涙が勝手に溢れてきて止まらなくなりました。4人部屋だから、うるさくならないように必死にこらえようとするけど、溢れる涙は止められませんでした。
翌日退院して、いつも通りの生活に戻る。心の傷はなかなか癒えませんでした。
でも幸いなことに、妊婦さんや小さな赤ちゃんを連れてる人を見かけても憎悪を抱くことは無かった。羨ましいなって思うことはあったけど、妊婦さんに関しては無事に産まれますようにって願っていました。私が経験したこと、他の人も味わって欲しくないって本気で思ったんです。
私たち夫婦はもともと子ども3人を希望していました。「また授かれたらいいね」と話し合いました。
1年後、再び突きつけられた現実
それから数ヶ月後、妊娠が分かった。同じくらいの時期で驚きました。「戻ってきてくれた!」って嬉しかったです!つわりは辛いけど、赤ちゃんがお腹にいるってだけで頑張れる。
妊婦健診は流産をしてから、毎回緊張します。今日は心拍を確認する日。〔、、、あ、動いてる〕医師「これ、心拍ね」安心しました。
つわりの辛さはあったけど、「来年こそもうひとり家族増えてお正月か~」と未来を想像して過ごしたお正月。1年前も同じ事考えてたなって。
今回も安定期に入るまでは周囲には内緒にしておこうと、夫と、仕事関係者にしか妊娠のことは話していませんでした。それぞれの両親にも話していない。でも後に、私がつわりでぐったりしてる姿を家に来た母に見られバレたこともありました。
健診日。いつものように緊張しながら内診台へ。
〔あれ、、、?心臓動いていない??〕私にはそうみえました。
すると
「、、、、今回ちょっと心拍の確認がとれない。赤ちゃんもあんまり成長していない。」
頭の中が真っ白になりました。「また来週確認しましょう。」
この3日後は1年前赤ちゃんとさよならした日でした。この1週間ずっとずっと不安でたまりませんでした。「お願いだから生きてて」とずっと願っていました。
やってきた健診の日。赤ちゃんの心臓は止まっていました。
どうして、、、どうして、、、と涙が溢れました。
医師からは連続で妊娠の継続が出来ない場合は不育症を疑う事もあると。過去に出産を経験していても、不育症になる人もいるらしいです。希望すれば診断も可能とのことでしたが、私の頭の中はそれどころじゃありませんでした。
手術は3日後に決まった。1年前にも聞いた同じ説明をまた受けます。
赤ちゃんとのお別れはとっても悲しかった。でもまたあの手術か、、、手術がイヤすぎました。赤ちゃんが亡くなっているのに、つわりによる嘔吐は続きました。私の体調は診断を受けた前と後と何も変わらないんです。
そして迎えた手術当日。
手術室が並ぶ廊下には、手術の時を待つ3、4歳くらいの女の子がいました。その子は全く恐怖心も無さそうな様子で、男性医師に抱っこしてもらいながら楽しそうな会話をしていました。地下にある手術室の部屋は空気も冷たくて薄暗い。この緊張感漂う空間にも関わらず、女の子はにこにこしていた。病気を治してもらえるから嬉しかったのかな?私も頑張ろうって思いました。
今回は麻酔の先生がカウントしてくれました。前回はいきなり始まったので…。
1年前と同じように、視界がぐにゃ~と曲がり、グルグルしながらまた悪夢をみました。内容は同じではないですが、自分が人間じゃ無い感覚は同じでした。
こちらの世界に戻りそうなとき、子どもたちと夫の顔が順番に見えました。
〔忘れたくない!!忘れたくない!!〕
私は顔が見えたと同時に名前を必死に唱えました。〔良かった、、、私、家族のこと忘れてない、覚えている!!〕でも、〔皆は私の事覚えているのかな???〕という感覚になり、悲しい気持ちになりました。
目がグルグルしながらだんだん戻ってきた。病室に戻っていました。「あぁ~そっかぁ。私流産したんだった…」。やはり、術後は自分の状況をすぐには理解出来ていないみたいです。
前回手術後に吐いてしまった事を伝えてあった事もあり、桶を側に置いてくれていました。でも今回は気持ち悪くならず、桶は使わずに済みました。
私が落ち着いた頃、主治医が部屋に来てくれました。「赤ちゃんみる?」今回も先生には赤ちゃんに会いたいと伝えていました。
瓶の中には、一つ目の子の時よりも少し大きく育った私の赤ちゃんがいました。今回は前回の処置とは違ったためか、その姿は、私にとっては直視するのがつらい状態でした。
先生が部屋を出た途端、涙が止まりませんでした。
「ごめんね、私のお腹で守ってあげられなくて。きっと、痛かったよね。」
かわいそうで、かわいそうでたまらなかった。ただ、わが子のために涙を流すことしかできませんでした。しばらくすると、看護師が様子を見に来て、泣きはらしてる私をみて、背中をさすってくれました。
2年越しの妊娠と、繋がった命
いつもの日常に戻っても、心の傷はなかなか癒えませんでした。
しかしある日、施術中にお客様と流産経験について打ち明けたとき、その方も同じ経験をされていたことが分かりました。共感し合えたことで、私の中の重荷がスッと軽くなり、「私だけじゃないんだ」と、心から救われました。
そんな中、娘から突然「妹が欲しい」と言われました。
正直、私にとって妊娠はトラウマになりかけていました。夫の意思が少しでも揺らいでいたら、3人目は諦めようと思っていました。夫は家事育児に協力的で、私の仕事も応援してくれる、本当に理解のある人です。
夫と長女に、弟か妹をプレゼントしてあげたい。そう思い、再び挑戦を決意しました。
しばらくして、妊娠が発覚。正直、陽性反応を見たとき、不安な気持ちの方が大きかったです。「またダメだったら、私もう無理かも…」という思いが頭をよぎりました。
過去2回の流産経験から、健診はいつも不安で胸がいっぱいでした。
それでも、お腹の赤ちゃんは順調に育ってくれました。私の妊娠を見届けてくれた先生も、赤ちゃんの成長を心から喜んでくれました。気付けば安定期を迎え、胎動を感じられるように。胎動がある間は、ただただ安心できました。胎動がない気がすると、お腹をさすって反応を待つこともありました。
そして、2人の天使になった子たちとのお別れの月だった1月。この「1月恐怖症」を乗り越え、無事に妊娠後期を過ごすことができました。
毎年1月には、お花とエコー写真を用意して、「あの時は私のお腹に来てくれてありがとう」と伝えています。

時々、町で小さい子をみて
もし、あの子達が無事産まれていたら、今これくらいか~
って照らし合わせる事もあったな。
予定日を2日過ぎた日、第三子は無事に産まれてきてくれました。
安心と嬉しさでいっぱいになりました。
出産数日後、3年間私の経過を見て、辛い時に寄り添ってくれた担当の女医さんが、わざわざお祝いの言葉を届けに来てくれました。「先生に出会えて良かったです」と心から伝えました。
今、この子を抱いていて強く思うことがあります。
もし、天使になった赤ちゃんたちが無事に産まれていたら…。 もし、長女が妹を希望しなかったら…。 もし、夫が3人目を諦めていたら…。
今、抱いているこの子は存在しなかったかもしれない。
流産したことは、すごくすごく悲しい出来事でした。ですが、あの経験があったからこそ、この子との出会いは必然だった、この子とは出会えない未来はもう考えられない、と感じています。
本当に、産まれてきてくれてありがとう。
ブログを公開する理由
長文にもかかわらず、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この壮絶な体験を公にすることに迷いはありましたが、私自身、流産経験者のお客様と話して心が軽くなったように、「私だけじゃない」と、同じ境遇の方の支えになれるかもしれないと思って、この経験を共有することに決めました。
もし読んでいて暗い気持ちになってしまった方がいたら、本当にごめんなさい。
上の子たちと年の差ができたのは、サロンオープン直後で少し間を空けようとしていたことに加え、2度の流産があったからです。結果的に、長女とは満7歳と2ヶ月、約7年離れることになりました(´。`)
最後に、ひとつだけお伝えしたいことがあります。
私はこの経験を通じて、同じ境遇の人の気持ちを心から分かってあげられるようになりました。これは、私にとって非常に大きな財産です。
もし私のブログを見たことで、話したいと思ってくださった方がいたら、今回の記事のことでも、遠慮なく声をかけてくださいね。過去の経験があってこその、今の私です。
皆さんが日々笑顔で、心穏やかに過ごせることを、心から願っています。
心を込めて施術致します! ご予約お待ちしております^^♪


